塙保己一先生の奉納刀(飾太刀)

 
奉納刀の展示

塙保己一先生の奉納刀は、令和4年に塙保己一先生の生家で発見され、本庄市文化財保護課 で燻蒸処理した後に、塙保己一記念館で令和4年4月26日から5月29日まで、展示されてい ました。
 ○会 場:塙保己一記念館(アスピアこだま内)
 ○会 期:令和4年4月26日(火)~5月29日(日)
 ○入館料:無料

刀の説明刀のこしらえ 刀と箱 刀のつか刀身
この日本刀は、奉納刀(飾太刀)として作られていますので、刀身はありません。

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塙保己一先生は天明3年(1783年)3月、38歳の時に検校となりました。

そして、同年7月に地元の稲荷神社に日本刀(飾太刀)を奉納しています。

 

この奉納刀については、昭和12年発刊の「塙検校遺物集」には掲載されて いましたが、その後は行方不明になっていました。

 

竹並万吉さんが提唱し、山田康博さんが会長を務め、『塙保己一先生を世に 出す』ために毎月勉強会を開いている「保己一出世くらぶ」の令和3年11月 30日の第5回会議で、温故学会の齋藤幸一理事長が塙先生の生家荻野 悦一さんに「奉納刀について知っている事はないか」と問い合わせ、荻野さん が「何かあるかも知れない」と回答し、屋根裏を探して、この奉納刀が発見さ れました。

 

その後、本庄市文化財保護課が生家に訪問し検分して「奉納刀(飾太刀)」と 判明しました。

 

そして、燻蒸処理の後、塙保己一記念館で特別展示されました。

どうやら、御霊稲荷神社の神主である鈴木さんが、戦後の混乱と神社が無人 なので、荻野さん宅に戻して、荻野さんも盗難を恐れて隠していたものと推測 されます。

 

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なお、「保己一出世くらぶ」では、塙保己一先生の誕生日である「5月5日」に、 塙保己一先生を顕彰するイベントができないかを模索しています。

 

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【参考】 奉納刀と稲荷神社に関する総検校塙保己一先生遺徳顕彰会 事業部会委員 田中学の資料

(1)奉納刀

(2)稲荷神社

(3)稲荷神社の由緒

 

稲荷神社は、塙保己一先生が幼少期にお世話になり、一時は病気を治す ために、「多聞坊」と命名してもらい、検校になってからは飾太刀を奉納して います。現在は御霊稲荷神社ですが、田中学は塙保己一先生の関係施設 としてもっと盛り立てる必要性があると考えていす。


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