そうけんぎょうはなわほきいちせんせいいとくけんしょうかい

総検校塙保己一先生遺徳顕彰会

肖像画

お知らせ

塙保己一ホームページを大幅改善しました

総検校塙保己一先生遺徳顕彰会では、塙保己一先生の偉業を広く啓発するために、色々な活動を行っています。

この度、ホームページを大幅リニューアルいたしました。

「資料集」に「生家」「検校面田」「奉納刀」等を掲載しました。
「年3回発行の会報誌」も全編をカラーで掲載しました。


「顕彰会の動画」に許可の取れた動画の掲載を始めました。

更に民間の「塙映画化計画(制作準備中)」や、市民の手作り啓発として「塙群読劇」と「塙講談」にもリンクしました。

また、「管理人紹介」のコーナーも作りました。

<問い合わせ先>
 総検校塙保己一先生遺徳顕彰会事務局(セルディ内)
 電話:0495-72-8851(直通)

 ==============================
 塙保己一は延享3年(1746)5月5日に児玉郡保木野村(現本庄市児玉町保木野)に生まれました。7歳の時、病により盲目となりましたが、学問を志して15歳の時に上京しました。
その後、努力の積み重ねとその清廉潔白な人柄を慕う周囲の人々の協力により、寛政5年(1793)には貴重な国学の研究拠点である
和学(わがく)講談所(こうだん)を設立、そして文政2年(1819)には41年の歳月をかけて編纂した一大叢書である群書類従(ぐんしょるいじゅう)完成させました。
その後、文政4年(1821)には盲人としての最高位である総検校となり、同年9月12日に亡くなりました。

塙保己一は「世のため 後のため」を座右の銘とし、散逸や消失の恐れのある貴重な文献を集めて厳格に校正を重ねて編纂し、666冊から成る群書類従を世に送り出しました。
この一大叢書は、当時の人々のための重要な情報源となり、後の世においては貴重な文献資料となっています。

郷土の偉人 塙保己一の業績を世に広く顕彰するため「総検校塙保己一先生遺徳顕彰会」は、埼玉県本庄市で平成19年7月26日に発足しました。
(当会では、塙保己一について敬意を込めて塙保己一先生と称しております。)

埼玉県本庄市役所の生涯学習課内に事務局があり、本庄市児玉文化会館が担当しています。
市内外の住民の皆様との協同により郷土の偉人「塙保己一先生」の遺徳を顕彰し、 広く市内外へ情報発信いたします。皆様のご協力をお願いいたします。

正規のホームページへのボタン このホームページは、左側にメニューが表示される設計ですが、一部の検索サイトでは左側にメニューが出ない場合もあります。その場合には、このボタンを押して左側にメニューを表示させてください。


関係機関へのリンク
 

 ボタン

 項 目

 内  容

本庄市役所

本庄市役所のホームページ

塙記念館 塙記念館のホームページ

塙保己一賞

埼玉県 塙保己一賞のホームページ

温故学会

公益社団法人「温故学会」塙保己一史料館

塙映画化計画 映画「塙保己一ものがたり」(仮)

ほきいち祭

令和5年5月5日から、新たに
「ほきいち祭」を始めます

塙群読劇

塙保己一物語劇化実行委員会 
市民の手作り群読劇「塙保己一物語」

塙講談

塙保己一先生を講談で聴く会
塙保己一先生の創作講談(宝井琴梅先生)


   「総検校塙保己一先生遺徳顕彰会」

      367-0216 埼玉県本庄市児玉町金屋728番地2
      本庄市児玉文化会館内 電話0495-72-8851 y: "MS Pゴシック"; } .auto-style31 { font-weight: normal; } .auto-style32 { font-weight: normal; font-family: "MS Pゴシック"; } .auto-style33 { color: #00800F; } .auto-style44 { font-family: "MS ゴシック"; } .auto-style47 { color: #000000; font-family: "MS Pゴシック"; } .auto-style48 { font-family: "MS Pゴシック"; } .auto-style49 { color: #800000; font-family: "MS Pゴシック"; } .auto-style50 { color: #FF0000; font-family: "MS Pゴシック"; } .auto-style51 { font-weight: normal; font-family: "MS Pゴシック"; } .auto-style52 { font-family: "MS Pゴシック"; font-weight: bold; } .auto-style54 { font-size: x-small; font-family: "MS Pゴシック"; } .auto-style55 { color: #00800F; font-family: "MS Pゴシック"; } .auto-style57 { border-width: 0px; } .auto-style59 { border: 1px solid #000000; } --> そうけんぎょうはなわほきいちせんせいいとくけんしょうかい

総検校塙保己一先生遺徳顕彰会

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総検校塙保己一先生遺徳顕彰会では、塙保己一先生の偉業を広く啓発するために、色々な活動を行っています。

この度、ホームページを大幅リニューアルいたしました。

「資料集」に「生家」「検校面田」「奉納刀」等を掲載しました。
「年3回発行の会報誌」も全編をカラーで掲載しました。


「顕彰会の動画」に許可の取れた動画の掲載を始めました。

更に民間の「塙映画化計画(制作準備中)」や、市民の手作り啓発として「塙群読劇」と「塙講談」にもリンクしました。

また、「管理人紹介」のコーナーも作りました。

<問い合わせ先>
 総検校塙保己一先生遺徳顕彰会事務局(セルディ内)
 電話:0495-72-8851(直通)

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 塙保己一は延享3年(1746)5月5日に児玉郡保木野村(現本庄市児玉町保木野)に生まれました。7歳の時、病により盲目となりましたが、学問を志して15歳の時に上京しました。
その後、努力の積み重ねとその清廉潔白な人柄を慕う周囲の人々の協力により、寛政5年(1793)には貴重な国学の研究拠点である
和学(わがく)講談所(こうだん)を設立、そして文政2年(1819)には41年の歳月をかけて編纂した一大叢書である群書類従(ぐんしょるいじゅう)完成させました。
その後、文政4年(1821)には盲人としての最高位である総検校となり、同年9月12日に亡くなりました。

塙保己一は「世のため 後のため」を座右の銘とし、散逸や消失の恐れのある貴重な文献を集めて厳格に校正を重ねて編纂し、666冊から成る群書類従を世に送り出しました。
この一大叢書は、当時の人々のための重要な情報源となり、後の世においては貴重な文献資料となっています。

郷土の偉人 塙保己一の業績を世に広く顕彰するため「総検校塙保己一先生遺徳顕彰会」は、埼玉県本庄市で平成19年7月26日に発足しました。
(当会では、塙保己一について敬意を込めて塙保己一先生と称しております。)

埼玉県本庄市役所の生涯学習課内に事務局があり、本庄市児玉文化会館が担当しています。
市内外の住民の皆様との協同により郷土の偉人「塙保己一先生」の遺徳を顕彰し、 広く市内外へ情報発信いたします。皆様のご協力をお願いいたします。

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令和5年5月5日から、新たに
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塙保己一物語劇化実行委員会 
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